こんにちは。今回は、Netflixのドラマシリーズ「疑わしき殺人者」をご紹介したいと思います。
1986年にスウェーデンの首相オロフ・パルメが何者かに暗殺された事件を題材にしています。
英語の題名は、「The Unlikely Murdere」で、「ありそうもない殺人者」ということになります。
この暗殺事件では、逮捕された容疑者はいたものの、のちに無罪となり、その代わりに、このドラマの主人公スティグが「疑わしい」となるのです。
ドラマの中でも、「スティグのパルメ暗殺は立証されていない。だが警察と検察当局は彼を疑っている」という免責事項が出ます。
なぜ、スティグは、「疑わしい」とされたのか?
「オロフ・パルメ」暗殺について
ドラマの題材となっているのが、1986年2月28日にスウェーデンの首相のオロフ・パルメがストックホルムの中心部にある通りで、妻のリスベスと映画を見た帰りに銃で撃たれて暗殺された事件です。
妻のリスベスも撃たれましたが、軽傷ですみました。
パルメ首相は、総理大臣という要職の身でありながら、普通の生活を送りたいとしばしばボディガードはつけずに外出をしていたそうです(今では考えられないですね)。
パルメ首相は、59歳でした。
主人公スティグについて
スティグ・エングストロームは、1934年2月26日にインドで事業を営む裕福なスウェーデン人の両親のもと、インドで生まれ、12歳の時に、両親と離れスウェーデンに戻り、両親が戻るまでの数年間を親戚と一緒に暮らしています。
スティグは、エリート学校に通っていましたが、成績はあまり良くなく、大学には進学せずに、グラフィックデザイナーの道へ進みます。
グラフィックデザイナーの仕事に加え、政治活動もしていたそうで、地元の市議会に参加していましたが、学校閉鎖をめぐる意見で対立して議会を追い出されています。
このように、政治にも興味を持ち積極的に参加していたため、反パルメでパルメを憎悪していた可能性もあると言われています。
のちに、保険会社スカンディアでデザインの仕事をすることになり、在職中に、パメル首相の暗殺事件が起きます。
ドラマでも描かれていたとおり、スティグは、アルコールの問題を抱えており、1968年に結婚した2番目の妻にも1999年に離婚され、2000年6月に66歳で自殺をしています。
暗殺事件後、スティグが容疑者とされるまで
スティグが容疑者とされた経緯は、自ら、パルメ首相が銃撃されたとき、現場にいて、
撃たれたパルメ首相の救助を試み、リスベス夫人と会話をし、犯人を追いかけたと証言したにもかかわらず、
リスベス夫人もスティグのことを知らなかったし、そんなスティグを目撃した目撃者もいなかったため( スティグを現場で目撃したと証言している者は多くはないにもかかわらず、スティグが現場にいたと特定できたのは、殺人犯に遭遇した可能性が高い人物だけでした)、疑われたのです。
パルメ首相が銃撃されたとき、20人ほどの目撃者がいましたが、
目撃者によると、犯人の特徴は、身長は180センチくらいの男性、暗いコートを着ていて、耳当てのついた帽子をかぶり、小さなバッグを持っていたというものでした。
これは、当日のスティグに当てはまるもので、会社の警備員の証言によると、
会社を出たスティグが20分後に、パルメ首相がロビーの入り口からわずか40メートルのところで撃たれたことを警備員に伝えるために会社のある建物に戻ってきたということでした。
また、スティグの証言に加え、警察の不手際も指摘されています。
警察はパルメ首相が銃撃された夜に、20人ほどの目撃者がいたにもかかわらず、目撃者を確保し、情報を得ることをしていません。
スティグも、目撃者として情報提供をするために警官に近づいたにもかかわらず、払いのけられたと言っています(ウソかどうかは今となってはわかりません)。
パルメ首相の殺害の翌日、スティグは警察のホットラインに電話し、パルメ首相の銃撃の現場に居合わせ、パルメ首相の救助をし、犯人を追いかけたという情報を提供したため、警察の尋問を受け、さらに、いくつかのメディアのインタビューに答えることになります。
事件の翌日から、すでにメディアに取り上げられ、スティグの顔が公になっていたということもあり、銃撃の当日の目撃者の中には、スティグを見たかもと思うようになる者も出てきて、捜査をより複雑なものにしてしまいます。
警察は、メディアに出て、警察を批判するスティグは、自分が注目されたいがために証言をしていて信頼できないと捜査から外すことにします。
初動捜査のミスもあり、決定的な証拠がないまま、
パルメ首相の死からほぼ3年後の1988年12月、麻薬使用者、アルコール依存症で過失致死罪で逮捕歴のあるクリステル・ペッターソンという男が、パルメ首相殺害で逮捕されます。
銃撃を間近で見ていたパルメ婦人によって面通しというおそまつな方法で、犯人とされたペッターソンは、有罪判決を受けますが、のちに無罪となります。
理由としては、ペッターソンにこれといった動機が見つからなかったことと、パルメ夫人の証言への信頼性が薄かったことなどです。
しかし、殺人に使われた銃と殺人犯が見つかるまで、警察の捜査に関わるファイルは閉鎖することができず未解決事件となってしまうため、その後も警察はペッターソンを控訴しようとしますが、証拠不十分となり、2004年にペッターソンは亡くなります。
そんな中、2020年6月10日、捜査を担当するクリスター・ピーターソン主任検察官は、 技術的な証拠はないものの、目撃証言やスティグ本人の警察やメディアへの言動や武器の所有などを根拠に、「スカンディア・マン」とも呼ばれるスティグ・エングストロームが最も可能性の高い容疑者であるとの結論を発表します。
しかし、スティグ・エングストロームは2000年6月26日に死亡し、これ以上の調査や司法措置は不可能であったため、調査は正式に終了しましたが、容疑者としてスティグの名前を出すことに、多くの批判が寄せられました。
まとめ
スティグを容疑者とするという前提で事件の経緯を振り返ると、スティグが自ら警察やメディアに赴き自分は目撃者なのだと主張したことや、警察の目を欺くためにメディアを利用したという意見には納得がいきますが、目的がいまいちわかりません。
本当に英雄になって、自分を馬鹿にしてきた人間を見返すことだったのか?
政治的なものだったのか?それとも偶然、パルメ首相を目撃して衝動的に銃を向けたのか?
理由はともかく、最後は、自分のつき続けたウソで、現実との境がわからなくなってしまったかのようで、気の毒でした。
どこまでも「疑わしい」ままでこの世を去ったスティグ。それは、彼の策略だったのでしょうか?
今と変わらない1980年代のレトロなスウェーデンの街並みや、インテリアにも注目です。
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