昭和の事件⑤:「巣鴨子供置き去り事件」

昭和レトロ

こんにちは。ものすごく久しぶりの更新となってしまいました。ブログを始めたきっかけはアフィリエイトでの収益化でしたが、今では、収益化なんて目標は、はるか彼方に遠のいてしまいました。新しい記事は全然投稿しなくても、ブログだけは存続させておきたいので、これからも細々と続けていきたいと思います。


早速、昭和の事件その5について書いていきたいと思います。今回ご紹介するのは、2004年に公開された是枝裕和監督の「誰も知らない」の題材となった事件についてです。


この作品で主演の柳楽優弥さんがカンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を史上最年少の14歳で獲得したことで大きな話題となりました。


しかも、この映画が1988年に起きた「巣鴨子供置き去り事件」という実際の事件が題材になっていたことも世間を騒がせました。


映画は、世界中で高い評価を得る一方で、実際の事件は、かなり悲惨なものだったので、心を痛めた人も多かったはずです。

映画「誰も知らない」(2004年)

映画で描かれているのは、とあるアパートに引っ越してきた母親と12歳の息子の2人。大家には2人暮らしと言いながら、トランクから弟1人と妹2人の3人の子供が這い出して来ます。母親は子供たちの出生届も出さず、学校にも通わせず、部屋に閉じ込めたまま仕事に行くと言って外出を繰り返しますが、そのうちに男の家に入りびたり、子供たちの待つアパートには帰らなくなります。


やがてお金のやりくりも難しくなると、ガスや水道が止められ、公園から水を汲んだり、洗濯をしたり、髪の毛を洗ったりしなければならなくなり、子供たちだけの生活は荒んでいきます。映画の中で描かれた子供たちだけの生活も、見てて切なくなりますが、実際の事件は、映画とは比べものにならないほど悲惨だったようです

巣鴨子供置き去り事件

映画「誰も知らない」の題材となった1988年に起きた実際の事件「巣鴨子供置き去り事件」について書いていきたいと思います。


事件の発覚は、1988年7月17日、東京西巣鴨のマンション経営者が、4ヶ月分の家賃を滞納している部屋の借主の姿が見えないと巣鴨署に通報したことでした。


通報を受け、捜査員が家賃を滞納している203号室に踏み込むと、汗と埃と糞尿が混じったような強烈な悪臭が漂ってきて、吐き気を催すほどだったそうです。


部屋中を見渡すと、汚れた衣服や食べ残しの食器が散乱し、洗濯機には腐って真っ黒になった衣服が詰まっているほどでした。


捜査員が何より驚いたのは、やせ細った6歳と3歳の姉妹が立ち上がることもできないほど衰弱し、床に敷いた毛布にくるまっていたことでした。


2人は、捜査員にパンをねだったそうです。


捜査員と一緒に部屋に入ったマンション経営者は、部屋の惨状に唖然としながらも、この部屋の借主は40代のシングルマザーで、彼女から私立中学に通う14歳の息子と2人暮らしだと聞かされていたため、不思議に思っていると、その息子が出てきて捜査員の問いかけに「この2人は預かっている子で、母親は大阪の洋服会社に勤めていたけど、今は入院しています」と答えるので、仕方なくこの日は姉妹だけを保護しましたが、数日後に息子は児童相談所を訪れ、2人が自分の妹であることを明かしたのです。


ここまでなら、母親の「保護責任者遺棄」で映画でも描かれていましたが、実際の事件では、映画では描かれていないことが起きていました。

もう1人の子供

子供たちだけが残された部屋を捜索した捜査員が、押し入れから乳児の遺体を発見したことで、事件は「死体遺棄」事件に発展します。

7月23日になって警察は、母親(40歳)を浦安市の愛人宅で逮捕します。母親の供述では、乳児の遺体は1983年に生んだ次男で、「仕事から帰ったら死んでいたので引っ越し先のマンションの押し入れにそのまま放置した」とのことでした。


母親は、デパートの派遣社員として働いていましたが、自営業者の男性と知り合うと長男に月3,4万円を現金書留で送り付けるだけで、半年以上も子供たちのところへは帰っていませんでした。
さらに、母親の供述では、自分が家を出た時点では、3人の子供以外にもう1人、2歳の3女がいたはずだと言うのです。


そこで、警察は、長男に問いただすと、一番下の妹は、4月に友人2人とともに折檻して死なせてしまった、とまたまた驚くべき答えが返ってきました。


折檻した理由は、お腹をすかせた妹がカップ麺を黙って食べてしまったことに腹を立てたということでした。息をしなくなった妹の遺体をボストンバッグに入れて西武池袋線で秩父まで埋めに行ったとのことでした。


映画では、長男は、下の子供たちに手を挙げるような場面は描かれていませんでしたが、実際には長男自身が母親から暴力を振るわれていたとのことで、弟や妹にも暴力を振るうこともあったようです。

事件後

事件発覚後、妹を死なせてしまった長男は、傷害致死、死体遺棄罪で逮捕され少年鑑別所に送られました。その後養護施設に引き取られたそうです。


母親は、1988年に懲役3年、執行猶予4年を言い渡されましたが、これは、同棲相手と結婚して子供を引き取ると誓約したうえでの温情判決だったそうです。


事件後2人の妹は誓約通り母親の元で暮らしているということでした。

最後に

ネグレクトが生んだ悲劇ですが、亡くなった子供たちも、妹を死なせてしまった長男も逮捕されてしまうというすべての子供たちが犠牲となったのに、母親には温情判決というあまりにも不当な結末でした。

子供には母親が必要との判断なのでしょうが、物心がつく年頃になった子供たちがこの母親を必要としたのかが気になります。


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