昭和の事件③:「ピアノ騒音殺人事件」

昭和レトロ

 コロナ禍で、家にいる時間が長くなり、家での過ごし方にも工夫が必要な昨今。

 家にいる時間が長くなったことで、それまで気にならなかったご近所の騒音などが気になり出し、それが原因で大きな事件に発展してしまうかもしれないという可能性も否定できません。

 実際、ご近所の騒音問題から殺人事件に発展してしまったのが、この「ピアノ騒音殺人事件」です。

事件について

 1974年(昭和49年)8月28日の朝、神奈川県平塚市の団地の一室でその部屋に住む8歳の長女と4歳の次女、33歳の母親の3人が刺殺される事件が起きました。

 犯人は、母親がゴミ出しに出た隙に部屋に侵入し幼い娘2人を刺した後、何も知らずに戻ってきた母親を刺殺して逃走しました。

 犯人は、犯行の3日後に平塚署に自首をしてきましたが、大浜松三という刺殺された親子の上の階に住む46歳の男でした。

 大浜は、殺害の理由を「ピアノの音がうるさかったから」と語り、反省も後悔もしていない様子でした。

犯人について

 大浜は、1928年(昭和3年)に東京の江東区亀戸で生まれました。

 子供の頃の大浜は、活発で明るい子供でしたが、小学校に入って、吃音の子と遊んでいるうちに自分も吃るようになり、そのことを思い悩み、次第に明るさを失くしていったそうです。

 就職するようになってからも、職場ではちょっとしたことで腹を立て、家でも、兄弟と喧嘩ばかりして、近所の人たちと顔を合わせても、目も合わせず口もききませんでした。

 そんな調子で、仕事も長続きせず、勤務していた国鉄の公金に手をつけたり、ひったくりをして2回の窃盗容疑での逮捕歴があったものの、31歳のときには、結婚することができましたが、妻への暴力で1年半後には離婚してしまいました。

 離婚した大浜は、八王子市へ移り、アパート住まいを始め、自動車工場で働いていましたが、アパートの住民からは「気難しい変わり者」と見られていました。

 この頃から、「ドカーン」という音がして眠れないという症状に悩まされるようになり、その原因が、その1年くらい前に、同じアパートの夫婦にステレオの音が大きいと注意したところ、妻の方が反発して口論になったことから、その仕返しをしてきているに違いないと妄想するようになりました。

 以来、鳥の声にもイラつき、吠えるからうるさいと近所の犬を殺してしまったこともあり、アパートの住民との関係はさらに悪化していきました。

 1964年(昭和39年)には、このアパートを出て、転職をし1965年(昭和40年)には、知人の紹介で再婚することもできました。

 再婚相手は、明るく気立てのいい女性でしたが、大浜は、この妻にも気難しくケチで、暴力を振るい、編み機の音がうるさいと注意したり、洗濯機もうるさいからと洗濯物は手で洗わせたりしていました。

 ただし、妻だけにうるさく言っていたのではなく、自らも風呂の湯を流す音もたてないようにしたり、テレビもイヤホンを使って見るくらい音には敏感になっていました。

 1970年(昭和45年)4月に、夫婦は平塚市の県営団地に移りました。

 大浜は、このとき、仕事を辞めており、失業保険を受給して、団地の一室でのんびりと暮らせると思っていましたが、そのもくろみは早々に崩れ去りました。

 階下に夫婦と子供2人の4人家族が引っ越してきたのです。

 一家は、さっそく日曜大工で騒音を出すようになり、大浜のイライラは募っていきました。

 そんな大浜が最も神経をとがらせたのが、階下から聞こえてくるピアノの音でした。

 階下の娘2人が毎日1、2時間は弾くピアノの音に耐えられず、練習が始まると、大浜は、図書館に行ったりして音から逃れようとしていましたが、次第に、「わざと騒音を出していやがらせをしているのではないか」と疑うようになりました。

 この頃には、妻も家を出ていき、孤独とイラつきで大浜の精神状態は極限に達していたようで、「いつか仕返しをしてやる」と刺身包丁などを用意していました。

 事件当日の朝7時すぎから、階下からはピアノの音が聞こえてきており、夫が出勤して妻がゴミ出しに行き、ドアが開いていたため、大浜は家に侵入し、娘2人を刺し、ゴミ出しから戻ってきた妻も刺し殺したのです。

時代背景について

 事件が起きた1974年(昭和49年)は、高度経済成長期で、その頃の平塚市の人口はふくれあがり、県は大型団地を造成しました。

 1967年(昭和42年)から入居が始まり、所得の上限が決められていたこともあり、居住者には新婚の若い夫婦が多かったようです。

 当時は、ピアノが大流行していたこともあり、「ピアノの騒音」で3人も殺されるという事件は、人々を震撼させましたが、「犯人の気持ちがわかる」という意外な電話が平塚署に多く寄せられました。

 ピアノブームの陰で、多くの人がその騒音に耐えて暮らしていたということが明らかとなったのです。

 事件を機に、集合住宅の騒音問題が大きく取り上げられるようになり、住宅の設計で、床を厚くしたり、ピアノ自体に弱音装置が取りつけられるようになったりしました。

その後

 事件の残虐性をよそに、大浜を理解する声も多かったのですが、その声は大浜には届きませんでした。

 被害妄想のような声や音に悩まされてきた大浜でしたが、精神鑑定の結果は正常と判断され、求刑通り死刑判決が下りました。

 支援者は、控訴を勧めましたが、大浜は一向に耳を貸さず、弁護士も知らないうちに自ら控訴を取り下げ死刑を選びました。

 大浜にとり、死刑より「刑務所の騒音」の方が耐えがたい苦痛となったのですが、2022年現在も収監中だとすると、94歳となります。

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