こんにちは。年末の大掃除で、ある本を見つけたので、読み返してみました。
その本のタイトルは「引きこもる若者たち」(塩倉裕著 ビレッジセンター出版局)です。
当時朝日新聞の記者であった著者が1995年に「引きこもり」と呼ばれる現象を知って、取材した記事をまとめた著書です。
1999年に出版されたものなので、かれこれ20年以上も前に書かれたものです。
当時、私自身、大学は卒業したものの、大学生活で自信をなくしてしまっていて、就職活動もうまくいっていませんでした。
大学生活になじめなかった自分が就職して毎日会社に行って働くことを想像するのは、恐怖でもありました。
私は、どこかでいつも「自分もいつ引きこもりになるかわからない」と思って生きてきたと思います。
それでも、なんとか就職できたので、「引きこもり」にはならずにずっと今でも仕事を続けていますが、今でもどこかで引きこもってしまいたいと思うことがあります。
何が言いたいかというと、この「引きこもり」問題は、20年前となんにも変わっていないのではないかということです。
「引きこもり」という現象は、引きこもりになってしまうかもという危機感を感じたことがない人にとっては、「怠け者」と映るのかもしれませんが、一般的な「怠け者」とは違うところは、彼らが対人関係に問題を抱えているところだと思います。
ただ怠けているだけであれば、家の中にいることに飽きたら出かけて行って人に会ったりすると思うのですが、引きこもりの人たちは、対人関係に問題を抱えているので、外に出て人に会うことが怖かったり、相手にどう思われているか気になったり、相手にとって自分は価値のない人間だと思ってしまったりしています。
この本に出てくる若者たちは、誰もが社会生活から逃げてしまった自分自身に嫌悪感を抱いたりしています。
「引きこもり」は、つらい現実社会からの逃避のはずだったけれど、引きこもったらもっとつらい現実が待っていたと。
「引きこもり」が孤立性のものだということと、引きこもる人自身が自分の引きこもる行為を肯定できないということで、社会に対して声をあげることは難しいのだと思います。
また、引きこもり問題が、個人の問題としてではなく社会の問題として扱われなければ解決はしないでしょう。
この本に出てくる若者たちの中でどれだけの人が社会に出ることができたのでしょうか。
引きこもりの問題は、「5080」問題、さらには「6090」問題と社会問題化していることは自明であるのに、具体的な対策は取られていないように思います。
この本で取材の対象となった「若者たち」は20代、30代です。
20年も前の本でしたが、今でも、同じ問題として内容も性質も何も変わっていないということが衝撃的でした。
ひきこもりを題材にした映画で、最近面白いなと思ったのが、「鈴木家の嘘」です。
Amazonプライムで見ることができます。
「引きこもり」について
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